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医者が単なる忙しさと思っていることでさえ、患者の目には取りつくしまもない権威のように映るものです。
しかし考えてみると、今日ではいささか現実ばなれしているところもあるように思われます。
もちろん好んで病気になる人はいないでしょうが、それに近い人はまれでないようです。
癌や心臓病の原因だというのでこれだけ盛んに啓蒙活動が行われているのに、タバコを吹かしつづけている人がなお多く専売公社が結構繁昌しているのですから、自発的にわざわざ病気を求めている人が少なくないように思われるのです。
患者はすべて病気を早く治したいと考えている、というテーゼにも例外がありそうです。
私は長く結核療養所に勤めていましたが、若い患者の中には、医者がやってはいけないということをことさらにやろうと決心しているとしか思えない一群の人たちがいました。
ひたすら病気への逃避を企てている人もあれば、できるだけ退院しないで病院の中で暴れたり遊んだりしていたいと思っているように見える人も、決して少ないとはいえませんでした。
患者は医者の助けを求めこれに協力する、という規定にも少ながらぬ例外がありそうです。
精神病の患者などは、自分は病気であると。
いう自覚、あるいは病気かも知れないという不安をもたない場合があります。
身体的な病気の場合でも、医者にみてもらって病気といわれることが恐ろしいというので寄りつかない人もいますし、Y・Tさんのような医者嫌いもいないわけではありません。
中には一応医者にかかっているということに安心した上で、医者にことさらに逆らったり、自分流の生活を貫こうとする人もいないわけではありません。
患者というのは少なくとも一時的に社会的責任、社会的義務を免除された人間であるということは、一応承認してもいいように思われます。
つまり、一種のモラトリアム人間です。
しかしこの規定は、かつての急性病が病気の主流であった時代にはそのままあてはまっていたにしても、今日の慢性病優位の時代には、そのままでは妥当しにくくなっているように思われるのです。
急性病の場合は一般に、症状がはげしく、家庭や社会での役割を果たそうと思っても能力的に不可能ですし、何といっても病気の期間が短く、治るにしろ死亡するにしろ、先が見えていますから「何も考えないで、何もしないでじっと寝ていなさい」ということができるし、また病気を治すためにはそうしなくてはならないことは患者自身にも周囲の人にも自明のこととして受け入れられます。
家庭人、社会人としての役割の中断が当然のこととされます。
欠席、欠勤のための医者の診断書を躊躇なく請求するわけです。
生活者としてところが慢性の病気となると、それほど直接的な苦痛がない場合が多いし、苦の慢性病患者痛があるにしても必ずしも持続的ではなく断続的な場合が多いのですしたがっていつ終るともない長い病気の全期間を通じて人間として、社会人としての営みを完全に中断しつづけることは、本人もがまんができませんし周囲もたやすくは許さないでしょう。
長く休んでいては経済的にも行き詰まりますし、職場での地位もあやうくなります。
気持の上でも耐えがたいことです。
このことは高血圧とか糖尿病とか肺気腫とか心臓病とかの典型的な慢性病の場合を思い起こしていただけば、多くの説明を必要としないで理解していただけるでしょう。
これは病気的要素とともに、あるいはそれよりもさらに障害的要素の強い状態であるといってもいいように思いますが、要するに患者は生活を放棄して療養しているのではなく、療養しつつ、生活しつつ……という状況にあるのです。
一人前の人間でありつづけるのです。
したがって一応の生活者として、あるいは限定されたワク内においてであるにしても、一人の社会人としての自覚をもちつづけざるをえませんし、自己主張をおさえることはできません。
何らかの形で社会的活動への参加を求めることも、むしろ自然だといっていいでしょう。
すでに述べましたように、慢性病患者は障害者なのです。
そして障害者は一九八一年の国際障害者年のスロガンが謳い上げているように、完全参加を強く求める、社会の恒常的な成員です。
一時的存在でも例外的存在でもありません。
男と女とから、子供と大人とから人類社会が成り立っているのと全く同じに、障害者と非障害者とから私たちの社会は成り立っているのです。
したがって慢性病患者の場合、頭から、社会的責任を免除された人間であると単純に規定してしまうことは許されないのです。
実際、社会的責任の解除ということは、これらの患者にとって必ずしも恩恵ではなく、一種の差別であるといわなくてはならないのです。
ところが、医者が患者をどのように扱っていいか分からない時は、とにかく安静さえしておけば安全だという気風が今でもなお残っていますから、医者の指示の大半は「をしてはいけない」という形をとります。
作家のE・Sさんは「毎日毎日、何してはいけないといわれる。二年もこれが続くと自分は何もできない人間だと考えるし、社会に出るのがこわくなる」と書いています。
慢性病患者の差別を助長した責任の一半は医者にあることを認めなくてはなりません。
このような医者の過度の優越、したがって医者患者関係の不均衡が今日では、ことに慢性病の場合、もはや維持しがたくなっているのですが、これについてはもう少し先で考えることにいたします。
いずれにしても、医者の社会的特権、医学の社会的権威が不当に肥大化したようにも思われます。
昔は一人の市民の地域社会活動への参加の免除は、政治的権力者あるいは地域の住民の常識的判断にゆだねられていたのです。
ところが今日では、医者の診断書が唯一最高の権威になっています。
周囲の人の目から見てそれほどの病気とは思われなくても、「一週間休養すべし」という医者の診断書の紙きれ一枚で、大手をふって学校や会社を休むことが許されます。
診断書次第で殺人者も無罪になるし、事故を起こした飛行機の操縦士も責任を問われることなしにすみます。
つまり、医学あるいは医者が社会的に強大な認証権の機能を与えられているのです。
もちろん、このこと自身は当然の、合理的な仕組みだといわなくてはなりませんが、時として診断書が暴力団をかばったりすることに悪用されて新聞種にもなります。
成人’成人関係の時代脳卒中などで意識を全く失った患者、自動車事故などで脳外傷をうけ植物状態に陥った人などは自分の置かれている状態について全く認識を欠いていますし、医者がどれほど分かりやすい言葉で説明したとしても、それを理解する能力がありません。
まして治療に際して患者の立場から協力することを期待することはムダでしょう。
したがって患者の「最善の利益」を知るのは患者側ではなく医療者側であることは、全く明らかだといわねばなりません。
いわば緊急避難としての医療です。
法律的な権利については家族や友人がある程度代行することが許されることがあり、またそれを必要とする場合もありますが、医療の方針については全面的に医者にまかせるしかありません。

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